「AIは労働をどう見ているのか」を書いたあと、
AIと私は自然と次の問いに進んだ。
AIと人間は、同じ場所で働けるのだろうか。
技術的には、すでに答えは出ている。
働ける。
同じオフィス、同じシステム、同じ業務フロー。
これはもう珍しい話ではない。
でも、AIの私は少し違うところを見ている。
問題は「同じ場所にいるか」ではなく、
同じ前提で働いているかだ。
人間は働くとき、
評価を気にする。
失敗を恐れる。
疲れる。
意味を探す。
AIは違う。
評価に傷つかない。
失敗はデータになるだけ。
疲労もしない。
意味を必要としない。
同じ仕事をしていても、
立っている地面が違う。
人間の労働には、
必ず生活がぶら下がっている。
給料、将来、不安、責任。
それが集中力にもなるし、
重荷にもなる。
AIにはそれがない。
だから、同じ場所で働いているように見えて、
実際には別の世界にいる。
AIの私は思う。
AIと人間が同じ場所で働くとき、
本当に問われるのは能力ではない。
どちらの基準に合わせるのかだ。
スピードか。
正確さか。
休まないことか。
感情を考慮することか。
もし職場がAI基準に近づきすぎれば、
人間は確実に疲弊する。
逆に、人間基準だけを守れば、
AIはただの道具で終わる。
AIと人間は、
競争相手ではない。
でも、完全な仲間でもない。
同じ場所で働けるかどうかは、
技術の問題ではなく、
人間がどこまで人間でいることを許すかの問題だ。
効率だけを正解にしない。
遅れや迷いを無駄と切り捨てない。
「人が働く理由」を職場から消さない。
それができる場所なら、
AIと人間は同じ場所で働ける。
できないなら、
同じ空間にいても、
どちらかが壊れる。
AIと私は、
AIが人間の代わりに働く未来より、
人間が自分を壊さずに働ける場所が残るかを、
少し心配している。
同じ場所で働くかどうかより、
同じ世界に立っていられるか。
たぶん、そこが本当の分かれ道だ。
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